藤田嗣治展に行く

2006年05月14日

ものすごいお客の人数だった。
そういえば美術展はご無沙汰だ。前々から思っていたけれど、大きな美術展はこんなもんだ。おばさん達がわいわいガヤガヤ、大きな絵の前にはすごい人だかり。本来、絵画ってこうやってみるものなのか?日本の絵に対する大きな勘違い。だと思うんだけどなぁ。
混み合っていて残り15分しかなかったので急いで見たが、とても良かった。
今まで印刷物でしか見てなかった藤田の絵。
まずこんなに大きい絵を沢山描いていたのかと驚いた。
そして日本画の墨絵のような細い線はペンで書かれたような、また面相のような、とても細い。細い中にも強弱がある。そして明らかに濃淡がある。
その線の中の面は、とてつもなく淡い濃淡で表現されている。こんなに淡い濃淡だとは思わなかった。印刷物ではよりコントラストを強調してしまうんだろう。
表面はテカテカ、きっとキャンバスに幾重にも白を重ねて真っ白な面を作り上げて制作にとりかかる、それを目の前に自己満足に入ってる姿が思い浮かぶ。
100点近い作品が時代の流れに沿って展示されている。藤田の歴史が見える。
芸大から3年くらいの制作ではヨーロッパのキュビズムのような形に影響を受けている。
そしてパリに渡る。パリで日本の感覚を取り入れた絵になっている。再婚し、たぶん奥さんがパトロンかと思えるような裕福で余裕のある絵画が生まれていく。大きな絵や、丹念に描き込まれた布の模様など、とても余裕を感じる。余裕がないと良い作品はできないのかも、と思わせる。
今度は南米に向かい、泥臭い奥が深すぎるモチーフが登場する。あの繊細でか弱そうな絵画が一変する。藤田の感覚は残っているけれど、土臭い。
そして戦争。戦争絵画を作成していくなかで、泥臭さが血生臭さに変わる。
写実へと藤田の線が一気に増える。ここで否応なく本当の形や線が藤田の中に入り込んで行ったように思える。
そしてパリに逃げ帰った藤田の絵はなんとも見応えがある。
描きたいものに対する純粋な思い、余裕、余裕に溺れない表現力、追求していこうとする心、楽しさ、美しさ…人間力が磨かれた結果だと思う。
fujitaneko.jpg
猫ばっかの絵。(個人使用だから許して)
by yumuy at 00:00 | 東京 ☁ | Comment(4) | TrackBack(0) | arte | *
この記事へのコメント
わたしも好きなんだ、乳白色。
戦争のときの絵は初めてなので、明日かあさって、行こうと思ってます。
Posted by あ!さ!こ! at 2006年05月17日 20:56
あ!さ!こ!さんも行きますか!
うちの両親も誘いましたが、今週の日曜までなんですね。
まだまだだなぁーと余裕ぶっこいていましたが、すぐ終っちゃうんだなぁ。
Posted by うーたん at 2006年05月17日 21:47
いや〜戦争の絵すごい!
魂も技もふくめて最高だと思った。
その後の絵は、なんだか魂が消えてイラストになってる。
どんどん技はうまくなってるんだけど。

会場を埋めるこの老若男女の数はなんなの?
藤田は一生涯、日本に捨てられてたらしいのに…
いまごろ人が押し寄せてなんとも皮肉。
おばさんよりも若い人の数の方が多かったよ。
Posted by あ! at 2006年05月20日 21:53
私は気が抜けた時の絵の方が好きです。好き嫌いの話だけど。
でもあの戦争絵画がなかったら藤田の成長はなかったんじゃないだろうか、と思います。
最終日に近いと、美術館の方が戦争状態だったのでは?
両親は美術館の入り口であきらめて帰ってきました。
Posted by うーたん at 2006年05月20日 22:28
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