浄土寺

2006年12月10日

仏像の話が飛び交っていた。
思い出して自分の作品の画像を探してみた。

hotoke.jpg画像だと大きさ感がわからないけれど、この絵の仏像は人物大。
結構大きい。鉛筆画。

兵庫県浄土寺に阿弥陀三尊像がある。
この仏像がいる寺は春分と秋分に日の光が仏像の真後ろにさすよう設計されていて、
春分と秋分には後光がかかった阿弥陀三尊像が拝める。
それをきいて描いた絵。
実際見たかったし、教授にも行けといわれたけれど、そんな手段も能力もなく、行けなかった。
今ならバイクも車も運転できるし、決心さえすれば行ける。
行くか。
行こう。


今更みると、、、あの頃は全然そういう目で見てなかったけど、うまいと思う。
当時は自分の絵なんて褒めたためしがない。
描いてた頃の気持ちとか、よくわかってて、その頃を思い出すのか、今はうまいと思う。
だからって何ができるわけではないけれど、これももったいないなぁーと。
絵ももったいないけど、自分がもったいない。
by yumuy at 00:20 | 東京 🌁 | Comment(3) | TrackBack(0) | mia arte | *
この記事へのコメント
>仏像の話が飛び交っていた。
えっ?どこで飛び交っていたの?仕事場で?私の周りのこと言っているのかな?

>今はうまいと思う。
>だからって何ができるわけではないけれど、これももったいないなぁー
>と。絵ももったいないけど、自分がもったいない。

自画自賛ですねー、でも確かにこういうことはありますよ。たとえば、詩を書くでしょ。翌日読み返すと、とても読めたモンじゃない。だけど、10年、20年たって読み返してみると以外にいいじゃん、って言うことあるね。
Posted by ben at 2006年12月10日 12:43
わたしは高校進学のときに親から離れました。離れてはじめてわかった親の意味。親もそれから優しくなったような・・・。うーたんも少し離れてみれれば良いかもネ。近すぎると見えないことがある。

自分で決めたつもりでも、何かに導かれているとしか思えないような不思議なことがあるね。うーたんとの付き合いでも何度かそういうことがあった。仕事のことも仏画も何かの意味があるのかも。いまはじめようとしている「ひとの駅」、岡本さんがテーマにしている「駅」。偶然とは思えない。なんか繋がっているような気がするんだよ。
Posted by yagi at 2006年12月10日 16:44
やっぱだめじゃん。。。っていうのばかりですけどね。笑

親と離れてみたいと思ったんだけど、運命はそうはさせてくれなかった。。。
大学は近いし、会社は近いし、お金はないし、いつのまにやら火事になって、住宅ローン組んでるし。
でもいつかは離れるのですし、やろうと思えばできないことはないんだと思います。
そのきっかけがねぇ。

偶然とは思えない導き。
最近もありました。
なんなんだろう???
怖いくらい。
Posted by うーたん at 2006年12月11日 23:12
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