ヨシオさんとの思い出

2018年02月20日

ヨシオさんとの思い出

まだ私がトライアルを始めたころ、
BENさんに連れられて、代田村の大会で道志に行った。
沢がまったく走れなくて、そこをスイスイと走り抜けてたのがヨシオさんだった。
途中、絶対行けなさそうな沢の中の大岩のステア。そこもスイっと登る姿は目に焼き付いてる。
うわっ、上手い人だな。
そして直ぐ帰ってしまう姿にベテランの域を感じた。

その後も何度か道志で練習をしていると、そのうち少し目にかけてくれるようになって教えてもらった。
こんなすごい上手い人に教えてもらうなんて、と思いながら。
南牧という大会ではこの沢を10往復くらいしないと出られないんだよ。と、私にはまったく関係することはないだろうな…とその時は思ってた。

ヨシオさんがSSDTに出場した時、サポートカーの運転をしないか?と言われたけど、その頃はペーパードライバーだったので、絶対無理だったんだけど、その後ですごく後悔。

私の家が火事で燃えてしまった時、
倉庫で整備をする私に、なんでか、ふるーいgasgasのフロントサスを貸してもらったけど、私にはどうにもできず。。。
なんであんなの貸してくれたんだろう???
でも整備テクの凄さも感じてた。

イーハトーブで全セクショントライするのが目標になってた時、
どうしてもお手本が欲しくて、ヨシオさんに同行願った。
その時、パンクしたフロントタイヤをマイナスドライバーですんなり処理したり、まったく焦らない姿は圧巻だった。トライアルのノウハウがヨシオさんには詰まってる。

そしてヨシローとヨシローパパと親子でのイーハトーブ走破に入ってもらった。
ここでもパンクした親子をサポートしてくれて大活躍だった。
電装系には強くて、1日目の終わりの黒崎荘の前で整備をずっと手伝ってもらってた。

そのイーハトーブで事故が目の前で起こったとき。
ヨシオさんはその人にすぐさま駆け寄って「大丈夫だよ、もう少し我慢だよ。大丈夫、大丈夫。」とずっと声をかけていた。
私は顔面から地面に落ちたその人の顔も見られず、一歩も動けなかった。
何も出来ない自分の弱さとは逆にヨシオさんの強さが心に残った。

離婚をして、寂しさを埋めるためにトライアルを始めた時、
何もなくなって、本気でトライアルに向かう事が出来るようになった時なのかもしれない。その時、ようやっとヨシオさんと本気度合いが同じレベルに達したのかもしれない。
私はなりふり構わず出られる大会には出た。
そしてヨシオさんの指標でもある「南牧耐久」に出た。
あの頃はまさか出られるとも想像してもなかった大会。
そして初出場で完走。
ヨシオさんは私よりも上位で、しかも最高齢。
ヨシオさんは省造さんより高い年齢で完走した事をとても誇らしげにしていた。

そしてそのヨシオさんに病魔が巣くっていた。
私の父と同じ、肺癌だった。

私はそれを聞いた瞬間、呆然として、涙が止まらなかった。
何かを失ってしまう、その事に対峙できなかった。
覚悟はしていたけれど、トライアルの仲間は高齢で、そのうち旅立ってしまう人が出てくるんだろうなと。。。
それがヨシオさんだとは思いたくなかった。

それからヨシオさんは独自で治療を初めて、癌ともきちんと向合って戦った。
そしてトライアルに再び復帰するために努力していた。
たぶん、トライアルへの強い思いがヨシオさんを動かしていた。

霧降高原のイベントに参加したヨシオさんは、そこでまた一つ受け入れなければならなかった。
一つあきらめ、受け入れ、対峙していく。
さらに、一つあきらめ、受け入れ、対峙。。。

私だったら、本当に辛いし、苦しいし、八つ当たりもしたくなるのに、
ヨシオさんはそんな様子も見せずに、今の状況を受け入れ、その中でできることをしてた。それでもトライアルへの思いは強かった。

ヨシオさんは若い時、ワンマンで独り行動が多く、友達はいなかったけれど、「こんな自分と付き合ってくれてありがとう。」と、トライアル仲間みんなに感謝してた。
そしてトライアルと向合わせてくれた省造さんにとても感謝してた。
さらにその省造さんを産み、戦地から逃げ連れてきてくれたおばあさんにも感謝してた。

最後にお会い出来たとき、トライアルの話をするととても嬉しそうで、本当にトライアルが好きなんだなと、そんなトライアルの時間を少しでも過ごしてもらいたい思いでいっぱいでした。

トライアル人の終焉を間近に見させていただいて、とても学ばせてもらいました。
ヨシオさんありがとう。
ヨシオさんみたいに、がんばるね。
by yumuy at 22:05 | 東京 ☀ | Comment(0) | bike>trial | *
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

保存しますか?


コメント: